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クリフ・リチャードの健康ポップスター生活⑤

 このように日本では東芝EMIの制作陣の地道な努力で着実にCliff Richardの人気は徐々に高まっていき、65年と66年度にはML誌の人気投票で1,2位を争うまでになった。

67年にはThe Shadowsが単独で来日し、さらに最初で紹介したようにシングル曲“Finders Keepers”が大ヒットし、10月には初めての来日公演ということになった。
U.Kでは一時期、引退説も報道されていたが、日本における英国国教会の伝導集会にも出席するという条件で来日し、10月18日は渋谷公会堂において、19日は日比谷公会堂でのコンサートを行なった。

この時にAlbum“Live In Japan”が制作されているがジャケット写真を見る限りではスリムなスタイルを維持しているのだ。

 68年に入ってバラードタイプの曲“All My Love”がヒットするものの、チャート上ベスト3以内に入ることは難しくなってきていた。その状況を覆すためか68年のEurovision Song Contestに出場することになり、TV・Cilla Blackショーにて6曲が発表された。

そのうち“Congratulations”、“Wonderful World”、“High’n Dry”、“Little Rag Dill ”等がリリースされ“Congratulations”がコンテストで2位になり、日本でも大ヒットした。
また、U.Kチャートでも3年ぶりに1位となり、U.Sでも99位、日本でも1位となった。

この曲は95年にCliff RichardがSirとなった時にバッキンガム宮殿の前で歌われた。
またGeorge HarisonのAlbum“All Things Must Pass”のジャムセッションの中でも演奏されていた。
この頃のインタビューで最も好きな料理の一つとしてカレー料理を挙げているカレーはスパイスが効いているのでダイエットにもよいと示唆される。その後、1969年10月6日に2度目の来日が実現した。

 10月15日離日、帰国の際、Cliffより「“Early In The Morning”どのくらいのヒットなんだ?」との質問があり、「現在洋盤では最も売れておりビートルズ並みのペースだ」との返答に対して、喜んだマネージャーやShadowsの連中に大きな声で「No.1だよ!」と叫んでいたという話が残っている。

ところで来日時のインタビューで、「新曲“Throw Down A Line”はヘビーなサウンドでこれまでの曲とは異なったスタイルでは?」との質問に対して、Cliff は「僕にはいつの間にかバラードシンガーというイメージが与えられてしまったが、あまりイメージ付けはしてもらいたくない」。
さらに「“Throw Down A Line”のボーカルスタイルはすでに2年前の僕の好きなアルバムでもある“Don’t Stop Me Now”のロックナンバーを集めたアルバムの中で試みている」ということであった。

 1969年末には日本では“Early In The Morning”が大ヒットし、68年より開始されたオリジナルコンフィデンスのシングル盤のヒットチャートでは4位まで上昇し、34.1万枚の販売数であった。
また1970年1月より開始されたアルバムのヒットチャートにおいてもベスト100以内に75位“This Is Cliff”、76位“Early In The Morning”の2枚が同時にランクされていた。

しかし、この頃から次第にハードロックが流行し始め、またML誌の読者層が年を追うごとに変化するためかML誌の人気投票では70年3月号では男性ボーカリスト部門で7位にランクされ、前年度よりもその順位が後退した。

 70年代初頭はCliff Richardにとってレコードセールス的にはあまり振わなかったがBBC-TVで連続番組“Cliff Richard Show”等が放映されており、音楽的キャリアとしてはU.Kでは健在であった。しかし日本ではヒット曲に恵まれなくなった。

 1972年には3回目の来日公演が開かれ、この時のバックグループはHank Marvin、Bruce Welch、John FarraらでバックボーカルにはOlivia Newton Johnが参加しており、ライブ・レコードが制作された。
この時Cliff Richard は腰痛がありコンサートで歌う以外はベッドで横になっているという状況であった。

特に運動もしていなかったので、以後テニスを行なうようになった。これは維持して行われている。
73年に入って再度Eurovision Song Contest に出場することになりT.V・Cilla Black Showに出演し、その中で歌われた6曲のうちFletcher Felt作の“Power To Our Fiends”が選ばれ、コンテストで4位となった。さらにU.Kチャートで109位、ヨーロッパ各国でも大ヒットした。
なお、74年には4回目の来日公演が行われ、この内容はライブ・レコードとして日本のみで発売された。
その後1975年には2枚のシングルを発表するも不発に終わり、Cliff Richardのキャリアの中では最悪の時期でありしばらく沈黙することになった。

1976年に入ってプロデューサーがBruce Welchに代わり、第一弾シングル曲として美しいバラード曲である“Miss You Night”が発表され、U.Kチャートでは15位まで上昇した。

この曲はU.Kでは非常に人気の高い曲で、1994年には“All I Have To Is Dream”とのダブルA面シングルで再度14位まで上昇した。
なおこの曲はArt Garfankel、Randy Vanwarmer等がカバーするほど人気の高い曲である。
さらには“Miss You Night”を含むAlbum“I’m Nearly Famous”はBruce Welchがプロデューサーとして制作され、U.SではElton JohnのRocket Levelから発表された。
このAlbumは、Cliff Richardにとってまさに革命的な一枚であり、フォルセットボイスを駆使した。

このAlbumを今は無き原宿の「メロディー・ハウス」で購入し、従来のCliff Richardの音楽とあまりにも異なり戸惑いを覚えたことを鮮明に記憶している。
それほど従来のファンには驚きを隠せないAlbumであった。
このように当時アメリカで流行していたBee Geesに代表されるいわゆるディスコサウンドを意識したものとなっていた。

このAlbumの発売と前後して76年6月には5回目の来日コンサートを行なっており、この時のバックメンバーにはTerry Britten、バックボーカルのTony Riversらが参加しており、6月21日より全国で12回の公演が開かれた。従って国内盤Album“I’m Nearly Famous”の帯には「来日記念盤」と記載されており、公演内容の中にもこのAlbumから数曲が歌われた。

続く・・・

1.クリフ・リチャードの健康ポップスター生活①2014/4/4
2.クリフ・リチャードの健康ポップスター生活②2014/4/11
3.クリフ・リチャードの健康ポップスター生活③2014/4/18
4.クリフ・リチャードの健康ポップスター生活④2014/4/25
5.クリフ・リチャードの健康ポップスター生活⑤2014/5/2
6.クリフ・リチャードの健康ポップスター生活⑥2014/5/9
7.クリフ・リチャードの健康ポップスター生活⑦2014/5/16

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