ポール・マッカートニーと菜食③
ポール・マッカートニーと菜食③
ポール・マッカートニーと菜食③
こう見ていくと、イギリスの緯度が高いためか、緑黄色野菜(レタス、ブロッコリー、トマト等)の記載があまりありません。イギリスは、EC加入後(1973年)、南ヨーロッパ等が多数の緑黄色野菜を買い入れるようになったのです。
それにしても現在でも値段が高いため、日本でごく一般的にサラダが食べられているようにはいかないようです。
1959年には、シルバー・ビートルズとしてスコットランド巡業を行っています。
このとき彼らは、一日にボール一杯のスープで暮らしたという記録が残っています。
さらに、1960年代の初めにハンブルグに演奏旅行に行った時の食事です。
第1回目のハンブルグ公演の時に、当時ビートルズのメンバーであった、スチュアート・サトクリフと最終的に婚約者となるアストリット・キルヒヘアや後にマンフレッド・マンのベーシストになるクラウス・フォアマンと知り合っています。
96年になってアストリットにインタビューしてまとめた本「アストリット・Kの存在―ビートルズが愛した女―」(小松成美著・世界文化社刊)の中で、アストリットは、当時のビートルズの食事状況について述べています。
ビートルズのメンバーが何もまして耐えられなかったのは食事だったそうです。
朝食はハンブルグのクローセ・ハイト通りにあるカフェで、ミルクをかけたコーンフレークやチキンやトマトのスープでした。時々、昼食時に町の大衆食堂に入ると、色あせた野菜や灰色の肉、酢の臭いが強いザワークラウトがテーブルにのっているのでした。
ハンブルグの港の埠頭に「イングリッシュ・シーマンズ・ミッション(英国船員協会)」のハンブルグ支部が存在するのを彼らは見つけだしたのでした。
そこでは、安くて美味しい「イギリス式の食事」が出されていたのです。
シーマンズ・ミッションの館長が、ビートルズのメンバーにこの施設を使うことを特別に許可してくれたおかけで、彼らは一番安い肉料理やフィッシュ&チップスやサンドイッチを求めて週に何度も来るのでした。
ハンブルグのカイザーケラーで演奏するミュージシャンは、量に制限はあったものの毎晩ただでビールを飲み、サラダを食べることができるのでした。
仕事以外の時間の食事はというと、朝はフライトハイトのカフェで食べるミルクのかかったコーンフレーク、昼食はダーフィッバッヒュ郊外の波止場ヨハミス・ボルベルク付近にある英国船員開学団体の宿舎の食堂で食べるフィッシュ&チップスなどの軽食類でした。
ハンブルグは港町で、ここでの名物は昔も今もカレイの料理なのです。
ビートルズのメンバーが食べたのは、いわゆるカレイをただフライにしたものだったのです。
ハンブルグの演奏は、一日に何ステージも行う過酷なものでした。
若いビートルズのメンバーであったから続けられたのでしょうが、メンバー全員がほっそりとしているのは、若いということもあるでしょうが、食事内容が良くなかったと言えそうです。
裕福な家庭環境のアストリットの家に招待され、ミクルティ、ベーコンの載った白いパン、ハムとチーズのサンドイッチ、ハムエッグがテーブルに並べられ、それらをビートルズのメンバーは、ごちそうになったそうです。上記のメニューがイギリス式の「ティ」の内容だったといえるのです。
続く・・・
1.ポール・マッカートニーと菜食①2014/5/23
2.ポール・マッカートニーと菜食②2014/5/30
3.ポール・マッカートニーと菜食③2014/6/6
4.ポール・マッカートニーと菜食④2014/6/13
5.ポール・マッカートニーと菜食⑤2014/6/20
6.ポール・マッカートニーと菜食⑥2014/6/27
7.ポール・マッカートニーと菜食⑦2014/7/18
8.ポール・マッカートニーと菜食⑧2014/7/25
9.ポール・マッカートニーと菜食⑨2014/8/1
10.ポール・マッカートニーと菜食⑩2014/8/8
11.ポール・マッカートニーと菜食⑪2014/8/15
12.ポール・マッカートニーと菜食⑫2014/8/22
13.ポール・マッカートニーと菜食⑬2014/8/29