女性の心と体をリセットする方法を教えます。誰もができて、エビデンスが明確なものに限定し、ご提案します。

ポール・マッカートニーと菜食⑨

ポール・マッカートニーと菜食⑨

ポール・マッカートニーと菜食⑨

 このような行動パターンについては、ジョージの元妻であるパティ・ボイドも次のように発言しています。
ある意味で、彼らはまだ子供でした。
友達らしい友達といえば他のメンバーくらいで、何か質問されればグループをして答えなければなりませんでした。
常にメンバー同士、波長をあわせていくわけです。
誰かが、ギャラリーのオープニングに行くといえば、全メンバーで行くのです。誰かが新しい車や家を買えば、全員が買いました。
つまり、4人のメンバーが同じように行動していたと述べています。
ですから、ジョージがインドへ行くとなれば、他の3人も一緒に行くことになり、ジョージが菜食主義者になれば、一応他のメンバーも試みることになったのです。
同じような事をジョンも述べています。

 というわけで、ジョージに引っ張られて、フィリピン公演の後に、他のメンバーも数日間インドを訪れることになります
(もっともこれは天候や飛行機のフライト予定が大きく作用したかもしれません。)
この後に、ジョージのインド思想への関心は高まり、ジョージとパティの二人だけで一時期インドに行っています。
この頃を境としてジョージは菜食主義的になったのです。
ジョージは、インド流に手で食べることも覚えました。

ロースト・ナッツに肉抜きのカレーから始まって、パコラ(カリフラワーと豆を詰めたパイをギーという油で揚げたもの)、サモサ、牛乳の甘味菓子であるラサムライ、バラの香りのする水でヨーグルトを薄めたラッシーなどをとっていたのです。
これが、1966年の秋頃の話です。

もともとスリムなジョージと最初の妻パティは二人とも体型を見事なまでに、細身な体型に維持しているのでした。

そして、ビートルズのメンバー間の結束がまだこの頃強かったためか、ポールは、ジェーン・アッシャーと二人でベジタリアン・レストラン等にも出かけています。
この時は、一時的にせよ菜食主義的な食事を試みています。
さらには、1967年の夏に、マネージャーであるブライアン・エプスタインが「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド」のリリースを記念して、ビートルズのメンバーを中心にパーティーを開いています。

このパーティーのある出席者の話では、ジョンは、やつれ、老けて、病的で、どうしようもないほど薬に溺れているようだと述べています。
そして、ジョンは食が細く、菜食主義のダイエットをしているという話を聞きだしているのです。
つまり、ジョージが始めた菜食主義的食生活は、ポールやジョンにも一応伝わっていったのです。
しかし、ポールもジョンも、この時点では長続きしませんでした。

 その後、ビートルズは、68年2月にインドのトランヤンデンタル・メディテーションの創立者であるマハリシ・マヘッシ・ヨギの元へ、超越瞑想を正式に学ぶために、全員で1~2ヶ月インドに行くということになりました。
彼らの目的は瞑想を広めて、この思想そのものをみんなに伝えられるように、きちっと習っておくということでした。
ビートルズのメンバー及び、その妻やガールフレンドたちは、リシュケンに赴きます。そこで、マハリシによる超瞑想法に関することの指導を受けるのです。
そこでの食事は以下のような内容でした。

なお、料理はオーストラリアから来た21歳の青年たちが2人で作ってくれました。

続く・・・

1.ポール・マッカートニーと菜食①2014/5/23
2.ポール・マッカートニーと菜食②2014/5/30
3.ポール・マッカートニーと菜食③2014/6/6
4.ポール・マッカートニーと菜食④2014/6/13
5.ポール・マッカートニーと菜食⑤2014/6/20
6.ポール・マッカートニーと菜食⑥2014/6/27
7.ポール・マッカートニーと菜食⑦2014/7/18
8.ポール・マッカートニーと菜食⑧2014/7/25
9.ポール・マッカートニーと菜食⑨2014/8/1
10.ポール・マッカートニーと菜食⑩2014/8/8
11.ポール・マッカートニーと菜食⑪2014/8/15
12.ポール・マッカートニーと菜食⑫2014/8/22
13.ポール・マッカートニーと菜食⑬2014/8/29

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